藤村

2010年01月29日

1月29日(金)。本日も藤村でございます。


さて、岩手の続き。

大船渡の漁港で極上の朝メシをいただいたあと、我々は大学へと向かいました。
大船渡に大学があるんですね。北里大学海洋生命科学部。窓の向こうには世界三大漁場の三陸沖が遠く見渡せる小高い丘の上に、そのキャンパスはありました。

我々そこで先生から講義を受けました。海洋資源の観点から今の日本の現状を見る。そんな講義でした。
その中から、私が感じたことも含めながら、いくつかお話しましょう。

まずスライドに映し出されたのが、サケの大群が川を埋め尽くす写真。先生がカナダで撮ったものだそうです。人里離れた川の上流、婚姻色で真っ赤になったサケの大群を見るために、海外を含め、多くの人がやってきます。もう立派な観光として成り立っている。是非見てみたいものです。
でも実は、岩手県にだって多くのサケがやってくる。でもカナダのような壮観な風景を見たことがない。なぜなら、ほとんどすべてのサケは下流部で捕獲され、人工的に受精、産卵させられているから。確かに人の手を加えることでサケの個体数は増え、守られてきた。でもそれは、サケという生物を「食料」という観点でのみ利用しようという考え方からきたもの。しかしその何割かでも上流へと上らせ、自然産卵させることにより、ひとつは、カナダのように「観光資源」として利用することができる。もうひとつは、サケが上流まで行って死ぬことにより、それ自体が上流部の栄養源となる、つまりサケを「自然のサイクルのひとつ」として利用することもできる。
なるほどと思いました。サケが川を埋め尽くす風景は、みんな絶対に見てみたいはず。北海道の一部の川では許可されているサケ釣りも、もっと広く観光資源として活用できるはず。でも日本ではなかなかできません。それは、昔はサケはとても貴重な食料で、それを守るために細かな規制が作られたから。そして今だにその規制を変えず、サケを「食料」としてしか見ていないからです。

「地産地消」という言葉にあまりに固執しすぎるのはよくないのではないでしょうか。例えば、この時期のサバは九州の方が美味しいし、たくさん獲れる、となれば九州のサバを食べた方が、日本全体の水産業を考えればいいことではないか。そのとおりだと思います。流行の言葉に踊らされず、全体のバランスをよく考えることが重要です。

スーパーの鮮魚売り場には、海外産のものが多く並んでいます。安いので、ついつい手が伸びてしまう。これからは値札のほかに、この魚が運ばれるまでに一体どれだけのCO2が排出されたか、どれほどの石油を消費したのか、を記入したらどうでしょうかと。いいですね。値段だけを書いて「安さ」を強調して売るのは、あまりにも短絡的です。消費者をバカにしてる。値段のほかに、もうひとつの判断基準を消費者に与える。すると多くの消費者は、値段よりも大事な価値をそこに見つけ出すはずです。主婦だって社会の一員だという自負は強く持っているのです。

先生はこんなことも言っていました。なるべく仕事はサボりたいですと。まったくもって同感です。
今まではわき目もふらずに働くことで社会は発展をとげてきた。発展すればみんなバラ色になる、と信じて。でも今、みんなわかってしまった。発展の先にバラ色は、どうやらないぞと。それどころか、社会はおかしな方向へ行っているぞと。わき目もふらず、何も考えずに働いてきたおかげで、何か大事なことを忘れていたぞと。おいおい、と。それで、ハタと立ち止まるわけです。このまま何も考えずに働いていていいのかと。それが言葉を変えれば、仕事をサボる、という意味だと思います。仕事もしないで、社会に対して何も活動しないで、ただひとりで考えているだけなら、残念ながら社会には何も影響を与えません。仕事をしながら、サボる。つまり、考える。

思えば、岩手で出会った人々は、みんなそうでした。ただわき目もふらずに仕事をしているのでなく、何かを考えていた。

今回、我々をこんな旅に連れて行ってくれたのは、盛岡博報堂という広告代理店の人です。盛岡でのイベントを仕切っていた人たち。我々はそのイベントに呼ばれたわけです。それは「仕事」。でも、その「仕事」以外に、彼らは一緒に寝泊りをしながら、岩手の人々と話す機会を作ってくれた。北海道のテレビ局の人間が岩手の広告代理店の案内でいろんな人に出会ったからといって、それが「仕事(ビジネス)」に直結するとは思えない。つまり我々は、いわゆる「仕事」をサボったわけです。そんなことより、広告代理店、テレビ局の人間として、お互いこれからの社会の中で、どんなことをやらなければいけないのか、その一番大事な部分を考える機会を作ってくれた。「ビジネスに直結する」というわき目もふらない仕事ぶりをやめて、一緒に「仕事」をサボることで、一緒に考えることができた。

心から感謝しています。

というわけで、岩手の旅は終わりました。

いや、最後に花巻の鉛温泉「藤三旅館」という古い大きな旅館で、いい湯に浸かりました。

仕事サボって温泉。なによりも最高です。

ではまた来週!

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いわどうiwadou at 20:27│

2010年01月28日

10月16日、週があけまして月曜日。藤村でございます。
札幌は本日、秋の青空がすっきりと広がりまして、気持ちのよい1日でございました。
さて先々週になりますが、岩手で地上デジタル放送がスタートしまして、そのイベントにわたくし呼ばれました。
「岩手未来博」と題した、「岩手を見直そう」「岩手を積極的にアピールしよう」というようなイベントで、私は開口一番「岩手はアピールする必要なし!」「むしろ黙っててほしい」と言ってしまいました。
岩手。実は昔から、個人的に何度か旅をした思い出深い土地です。
遠野。カッパが棲むという小さな川にたたずんでみる。
南部曲家で、ひんやりとした土間の感触を確かめる。
小さな県道の橋の上から川をのぞきこむと、イワナがゆっくりと体をくねらせている。
岩手は北海道に次ぐ日本第2位の広さを持つ。そのくせ盛岡以外にたいして大きな街がない。だから、これといって思い浮かぶものがない。だから、「行こう!」という強い動機が生まれない。岩手は、観光するのにつかみどころがない県だ。
でも、三陸海岸に出れば魚が美味い。山の幸も豊富。なにより餅文化が浸透して私好み。
こんな土地、人には教えたくない。「岩手ってなんにもない」。そう思わせておけばいい。旅の一番の楽しみは、人に知られていない、自分だけの「心地の良い場所」を見つけることだ。だだっ広くて、なんにもない岩手は、だから旅をするのに最も心くすぐられる土地なのだ。
岩手はこのままであってほしい。「岩手をアピールしないでほしい」。黙ってても、いや、黙ってるからこそ人を惹きつける、岩手はそういう場所なのだ。
ま、そういう意味のことを申し上げたわけです。
盛岡に住む若者と対談のようなこともしました。
帽子屋の男、藍染をやっている男、ほとんどプータローでDJやってる男、ライブハウスを開いた男、そしてカフェをやってる女性。
何人かは東京へ出て、盛岡に戻って来たそうだ。
「今、東京から逃げてきたって言ったけど、本当にそう思ってる?」
「うーん、どうだろ」
「東京じゃなくて、盛岡の方が好きだから戻って来ただけなんだろ?」
「本当は、そうですね」
「『逃げてきた』っていうのは、世間的にそういう言い方が一般的だから、自分もつい言っちゃったんじゃないの?」
「まぁ、確かに」
なぜか今でも東京から戻ってくると、何かに負けたような印象を持たれる。でも、例えば「盛岡で初めてライブハウスを開いた男」の話。オープン当時、人前で演奏できるバンドは、盛岡に9組しかいなかったそうだ。それが今、50組になった。彼がやったことは、東京でライブハウスをやるより、もしかしたら難しいことだったかもしれない。
「これから盛岡のために、みんなはどんなことをやっていけばいいと思う?」
司会の女性が聞いた。
「うーん・・・」
みんな口ごもった。彼らの気持ちを代弁した。
「おまえらはさぁ、何かのためにやってるとは思ってないもんね?だから答えられない」
答えたところで、多分「盛岡を少しでも元気にする」とか、そんな通り一遍の言葉しか出てこないだろう。どっかで聞いたフレーズを口にするだけだ。
でも、具体的に「盛岡で彼らがやるべきこと」はちゃんとある。
盛岡という田舎町で、彼らは何をすればいいのか?
「例えば、カフェと雑貨屋をやってる彼女。カフェや雑貨屋なんて、多分、ほとんどの女の子がやりたい仕事でしょ。誰でも一度はやってみたいと思ってる。それをあなたは、今やっているわけだ。だったら、あなたが盛岡ですべきことは、カフェをやりながら幸せに暮らすことでしょ。盛岡で雑貨屋とカフェをやりながら幸せに暮らす。それさえすればいい。東京の人は、そんなことされたら絶対にかなわない」
「なるほど・・・わかりやすい」
「あんたのお店、儲かってる?」
「ぜんぜん」
「でもいいじゃない。暮らしていければ」
別にカフェをやってない奥さん方だって同じ。盛岡で、岩手で、自然にあふれた環境の良い街で、幸せに暮らす。それさえできれば、誰もあなたたちにかなわない。そんなあなたに余裕があったら、チェーン店のファミレスではなく、盛岡でカフェをやってる彼女の店でお茶を飲む。メジャーのCDを買うのを1回やめて、盛岡のバンドのインディーズを一枚買ってみる。盛岡の若者が手を真っ青にして作ってる藍染のTシャツを1枚買ってみる。たったそれだけで、彼ら、彼女は幸せに暮らし、外にアピールしなくても、いつのまにか盛岡の文化が育っていく。

夜、盛岡の街へ出ました。
繁華街は思いのほかコンパクトで、きれいに整っていた。街には2本の川が流れている。サケが上ってくるそうだ。
「県庁所在地でサケが上ってくるのは、札幌と盛岡だけ」
なんともいい街だ。
駅の近くのホテルまで岩手朝日の人たちが一緒に歩いて送ってくれた。ホロ酔い気分で駅を見て、はじめて気がついた。
「あ、見覚えがある!オレ、ここ来た!」
サイコロ3の最後が、盛岡駅だった。
「あー、ちょっと懐かしい」
でも、あの時に見た盛岡駅と、今見ている盛岡駅では、ずいぶんと印象が違った。そこに住んでいる人たちの顔を見られたことで、「盛岡」という街がずいぶん身近に感じられた。
どうでしょうの旅も思い出深いが、3人と離れたこういう旅も、思い出深い。
岩手の皆様、そういうことで、「もの言わぬのが美徳」、その県民性を思う存分発揮して、くれぐれも「岩手はいいとこ!」などと慣れない宣伝はしないように。そして、幸せに暮らして下さい。
今月末、また岩手におじゃまします。仕事が終わったら、少しだけ旅してまいります。
いいとこがあるらしいので。


夜分恐れ入ります。11月20日月曜日、藤村でございます。
今年の水曜どうでしょう最新作の作業を始めておりまして、久々に編集室引きこもり生活に入っております。
さきほど冒頭の企画発表部分をつなぎ終わり、「今日のところはこのへんで…」と、パソコンのあるデスクに戻ってまいりました。
この時間になると制作部のあるフロアにも人は少なくなり、静かになってまいります。静けさ、というのは1日の終わりに落ち着きを取り戻してくれますな。静けさと、あと暗さですな。
先月の末に、また岩手に出張してきました。その際に、系列の岩手朝日の人間と地元代理店の方などと連れ立って、あるお宿に行ってきました。
岩手県北部にあるそのお宿は、茅葺屋根に囲炉裏のある、高級宿なんかではございませんが、古い民家をそのまま利用した趣のあるお宿でございます。
日が暮れるかどうかという時間から、黒い板の間に座り、囲炉裏を囲んで酒を飲み始めます。メシを食い、風呂に入り、やがて宿のご主人と奥様も交えて、さらに酒を酌み交わします。テレビはありません。明かりもほとんどありません。静けさと暗さが包み込む中、ただ囲炉裏の火を見ながら、ただゆっくりと話をします。
時計を見てもまだ夜の9時。おだやかな気分で、さらに飲みながら話をします。
夜11時を過ぎたころ、宿の奥さんにうながされて外に出ました。
「おぉーっ!すげぇ!」
空には物凄い数の星がありました。驚きました。驚きすぎて、わたくし放屁いたしました。
「おぉーっ!すげぇ!(バッ!)」
最後の「すげぇ!」とおならはほぼ同時に出ました。それも(ぶっ!)ではなく、もっと豪放な、弾けるような(バッ!)という音色。わたくし、肛門が破裂したかと思いました。肛門が割れるほど、頭上に振りそそぐ星空に驚いたのであります。
寒い寒いと身を固くしながら囲炉裏の部屋に戻り、また酒を飲みます。
「この家には、座敷わらしが住んでるんですよ」
奥さんが話し始めました。
その座敷わらしの名前は、ハルちゃんというらしく、ハルちゃんは、子供が泊まりに来るとうれしそうに出てきて、一緒に遊ぶそうです。事実、小さな子供が暗い部屋に向かって指を差したり、話をしたりすることがよくあると。
「奥さんは、見たことあるんですか?」
「一回だけ」
それは、ある夏の日のことでした。
その日も囲炉裏を囲んで宿泊客と夜更けまで酒を酌み交わしておりました。中に、そういうのが見える方がいらっしゃいまして、「あら、今日は上でハルちゃんがずいぶん騒いでるわね」と言ったそうです。
やがて酒宴もお開きとなり、奥さんは座布団を囲炉裏のそばに積み重ねて片付けました。その夜は蒸し暑かったので、窓を全部開け放して、そのまま寝たそうです。
翌朝早く、奥さんは部屋に煙が充満しているのに気づいて飛び起きました。
「火事だ!と思って、あわてて囲炉裏の部屋に行ったら、座布団が焦げて全部灰になってた」そうであります。たぶん囲炉裏の火が飛んだのでありましょう。座布団は灰になっておりました。
「でも、燃えたのは座布団だけ。もしも風が強かったら、たぶん本当に火事になってた。だから・・・」
だからあの夜、ハルちゃんは騒いでた。そしてきっとハルちゃんがあの夜、この家を守ってくれた。
奥さんはその日、座布団だけが燃えて、四角い焦げあとが付いた床に、お菓子をお供えしたしたそうです。
「ハルちゃん、ありがとう」
お礼をし、部屋を出て、しばらくして振り返ると、その場所にハルちゃんが立っていたそうです。
ハルちゃんの横には、犬がいました。もう死んでしまった、奥さんがかわいがっていた犬のジョイ。
ハルちゃんは、ジョイを連れて、にこにこしながら、その場所に立っていたそうです。
「それ以来、もうなにがあってもハルちゃんがいるからこの家は大丈夫って、思うようになった」
奥さんは、天井を見上げてそう言いました。
「ココに・・・いるんだね?じゃぁ、ハルちゃんが・・・」
「いますね」
「ふーん・・・」
根っからのビビリ屋のわたくしは、(今、ハルちゃんが出てきたら、間違いなくおれの肛門は破裂するな)、そう思いながら、放屁を必死で我慢しておりました。
座敷わらしがいて、家を守ってくれる。だから、大丈夫。そう思って日々生活できる。それは、なんと豊かな暮らしであろうと、思いました。
家を包み込む静けさと、暗さ。物の豊かさはないけれど、心の豊かさはいっぱいある。
岩手で、また良いものに出会いました。
さ、11時になってしまいました。早く帰ります。また明日。

2006年1月6日金曜日。
嬉野です。
なんですか、もう金曜日なんですねぇ。
そしてその後は月曜日までお休みなんですねぇ。
お休み、多くなりましたねぇ。日本も。
でもね、まだまだ欲しいですよね。
とくに長期間の休暇がね。
さて話はガラリと変わって、今朝方のことですが。
朝ご飯を食べた後にですねぇ、うちの奥さんが、
「昨日、なんか面白かったから最後の方だけ録画しておいたの」
と、申しまして朝から某局の県民性をテーマにしたバラエティー番組を見せられたのですが、すごいですねぇ岩手県というところは。
「日本一お人よしな県」はどこかということでアンケート調査しました結果、見事第一位に輝いたのが岩手県だったということで、
その裏づけを取るために、さっそく盛岡の街中で隠し撮りの実験がなされたわけですね。
まず盛岡の寒空の下、旅行者風に仕立て上げましたお年寄りの御婦人を一人、街中に心細げに立たせる。
その前を通り過ぎようとする岩手県民に「あのぉ、盛岡駅は、どう行けば良いのでしょうか」と聞かせるわけですが、実にこの時の岩手県民の皆さんの反応が天晴れとしか言いようが無い。
自転車を押しながら通りがかった高校生らしき女の子は、「時間があるから私が案内しましょう」と困っているお年寄りに付き合ってなんと自ら駅まで案内しようとする。
茶髪のあんちゃんの二人連れは、丁寧に道順を教えた挙句、「寒くない?」と言って、自分が使ってた使い捨てカイロをあげてしまう。
中には、話しかけられてもいないうちから、御婦人の挙動に気づき「おばぁちゃん、どうしたの?困ってることあるの?」と話しかける若者まで出る始末。
そのあと、やらせで、通りで若者を転ばせて、一抱えもあるりんごの包からいっぱいのりんごが転がりだせば、居合わせた多数の通行人が殆ど同時に全員参加して拾ってくれる。
そういう光景を見るということは実に気持ちが良いもので、「岩手県民は偉いものだ」と感心することしきりでございました。
ございましたが、その時ですねぇ、わたくしふと思ったのですね。
私だって、どちらかと言うなら、いやいや、どちらかと言わずとも「善人」なわけですから、そのような場に遭遇しましたら、そのような善なる行動を取るについては本来やぶさかではないわけですが(なになに?表現は手短に?なるほど!)、どうもですねぇ「嬉野さんは良い人」と言われても軽くあしらわれているようで大して嬉しくないわけですね。
どうしてだろう?と思ったわけです。
だって、今、目の前でね、岩手県民全員がここまで善人なのか!と驚き感動したわけですからね、自分も生まれ故郷は違っても、行いではこの中の一員かと思えば、晴れがましくもあり、また誇らしいわけですが、どうも単体で「いい人よね」と評価されるとなんとなーく心細い。
なんでだろうと思ったわけです。
思うにこれは若かりし頃の後遺症なんでしょうね。
「嬉野君っていい人よね」
「そうそう」
「でも私の好きなのはB君」
「あら私はC君!」
「そう言えばC君もかっこいいのよね」
「そうでしょう!あんたは?」
「私?わたしはDくーん!」
みたいなね。
「いい人は?」
「嬉野君!」
「好きな人は?」
「A!B!C!D!」
みたいなね。
そばで聞いててもオレの名前はいっこうに上がらねぇなぁ、みたいなね。
なんだよ、むしろ善人よりは不良っぽいやつの方が女にモテルじゃねぇかよ。みたいなね。
そういうですねぇ、若かりし頃の貧しいデータが刷り込まれて、未だに尾を引いておるのでしょうねぇ。
げに煩悩というモノは恐ろしいものでございます。
いやぁでも感動したなぁ、岩手の人たちには。
朝から良いものを見たなと、心豊かになりました嬉野でございました。みなさんも今日から善人になるように。
それでは、また明日お会いしましょう!
あ!違った!
明日は休みだった。
また来週ー。だった。

2007年8月7日火曜日。藤村でございます。
もう3ヶ月前になりますか、5月のはじめに嬉野先生とふたりで岩手におじゃまいたしました。
私はこれでもう3回目。地元岩手・盛岡を愛してやまない人々が、今回も各所を案内してくれました。嬉野先生は初めての参加であります。
まずは盛岡の街を歩きます。
街には2本の川が流れております。そこには鮭が登り、鮎が躍る。
街からは遠く岩手山が見えます。
街の中心はこんもりと木が生い茂る岩手公園。盛岡城の跡地であります。
来ず方のぉーお城の草に寝転びてぇー空に吸われし十五の心
盛岡一高の生徒であった啄木が授業をサボって詠んだ歌でありますな。昔は風流な不良がいたもんです。
盛岡は、このお城を中心とした城下町であります。
近代的で思いのほか巨大な盛岡駅は、街の中心ではなく、街の端っこにある。
ここに鉄道が出来た当時は、真っ黒な煙を出す蒸気機関車なんてものを街の真ん中に入れるわけにはいかない、よそから来た正体不明な人々を街の真ん中に入れるわけにはいかない、だから駅は街の端っこだ、そんな理由があったそうであります。
今とはまったく違う考え方でありますな。
駅とは反対側の街の端っこには、バスセンターがあります。今となっては懐かしい、昭和の匂いが漂う古い建物。乗り場には売店が何件かありまして、まんじゅう屋もある。
素朴な味わいの餅をいくつか買いましたら、実に丁寧に包んでくれた。
盛岡からバスに乗って田舎に帰る。旅をする。昔から旅のお供として、里帰りのお土産として、みなさんこのまんじゅうを買っていたのでしょう。バスに乗る。それがとても晴れがましいことであった時代の名残が、この古い建物には残っておりました。
私の大好きな福田パンにも行きました。
あんこ、クリーム、ジャム、野菜、カツ・・・数多くの具の種類が壁に貼られておりまして、それをコッペパンにはさんで出してくれる。あんとバターとか、クリームといちごジャムとか、2種類組み合わせて頼むこともできる。盛岡に昔からあるオーダーメイドのパン屋さんですな。
コッペパンというと、どうしても給食の時に出てきたパサパサの乾いたやつを思い浮かべますが、ここのパンはしっとりやわらかい。
「うーむ!きなこクリームってなんだ?これとブルーベリージャムを組み合わせたらどんなパンになるんだ!」
20種類はあろうかという豊富な具のラインナップに興奮を隠し切れないのであります。
質素な店内で、おばちゃんが手際よく客の注文通りに具をはさんでいく。昔ながらの光景が実に心地良いのであります。
盛岡を離れ、岩手県南部にある料理屋に行きました。森の中にあるそのお店は、一日一組限定。といっても高級料亭なんかじゃありません。山菜しか出ない。おばさんが山で取ってきて、時間をかけて下ごしらえをする。えらく手間がかかる。だからたくさん出せない。だから一日一組にしか出せない。
囲炉裏端に、何種類もの山菜が、ひとつずつ皿に盛られて出てきます。うまい。どれも、うまい。うなるほどうまい。山菜だけで満足し、腹がいっぱいになる。こんな経験は初めて。
「幸せですなぁ・・・」
「まったく・・・」
ホロ酔いの嬉野先生もご満悦であります。
しかしおばさんにしてみれば、小さい頃からこうやって食べてきた。ただ単に、昔のまま、今もそうしてるだけ。
昔のまま。
昔のままに出会うと、なぜこうも「良いなぁ」と感じてしまうんでしょうか。
それはすなわち今の時代に、どこか違和感を感じているからでしょうか・・・。

さて明日からお休みと出張がありまして、こちらをまた留守にいたします。
来週また、お会いいたしましょう。



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いわどうiwadou at 20:34│
1月28日(木)、藤村でございます。

岩手のお話の続き。

岩手・三陸といえば美味い海産物。なぜ海産物が有名か。

「試験に出る」大泉校長の語呂を思い出してほしい。

車 だん吉 日本に帰る(黒潮 暖流 日本海流)
親は 寒いぞ 千昌夫(親潮 寒流 千島海流)

日本の太平洋岸には、上記ふたつの海流が流れております。南からは暖かい黒潮(日本海流)、北からは冷たい親潮(千島海流)、それぞれの海流に乗っていろんな魚が日本沿岸へとやってくる。だから日本は漁業が盛んなんです。中でも、南から来る黒潮と北から来る親潮がぶつかる地点、それが岩手の三陸沖。つまり三陸沖には黒潮の魚も親潮の魚も集まってくるわけで、魚の種類が豊富、それゆえ世界三大漁場とも呼ばれております。

もうひとつ。三陸といえばリアス式海岸。複雑に入り組んだ地形が深い入り江を作っている。入り江は外海と遮断されて波もおだやか。だからそこに良い港ができる。その上、静かで深い入り江はカキやホタテ、海苔なんかの養殖がやりやすい。

沖へ出れば世界三大漁場、リアス式海岸では養殖と、そりゃあ海産物の宝庫なわけです。

さて旅の続き。

陸前高田で創業200年の醤油屋さん「八木澤商店」を出たあと我々は、大船渡の小さな漁港へと行きました。ここでホタテ漁師さんの船に乗り、ホタテとカキの養殖の様子を見せてもらいました。

カキもホタテも、ロープ状のものに稚貝を付けて、それを海に沈めておく。ホタテは数ヶ月、カキは1年から2年で出荷できるぐらいの大きさに育つ。養殖とは簡単に言えばそれだけのこと。でも、米や野菜と同じで、種をまけば勝手に育つわけじゃない。出来の悪いものは間引いたり、雑草(海草)をこまめに取ったり。収穫したあとも、殻をきれいに洗い、身を取り出してようやく出荷となる。

カキの漁師さんに聞いた。ひとつのロープには20個ぐらい稚貝を付けるが、その貝と貝との間隔、出来の悪いものを間引くときのタイミング、そんなところに細かいコダワリがあると。そして最終的に良いものに育つのは、20個のうちの7個ぐらいだと。
でもウチのカキはそんなに大きくならない。川があって、そこから生活排水なんかが流れ込む濁った海のほうが栄養が多くてカキは大きくなる。でもここは海がきれい。なるほど見れば、驚くほど海が透きとおっている。つまり、ここは栄養が少ない。だから大きく育たない。でも、このきれいな海で育ったカキの方がおれはいいと思う。漁師さんは胸を張って言った。
米や野菜のコダワリなんかはよく耳にするが、養殖にもそれぞれのコダワリがある。

ホタテの漁師さんには、こんな話を聞いた。北海道のホタテは広い面積にざぁーっと稚貝をまき、大型の漁船で一気にざーっと収穫する。だから安い。かなわない。こっちは、こんな入り江で、ひとつひとつ稚貝を育てて・・・手間がかかるよ。でも、安くしか売れない・・・ギリギリだ。

北海道は漁業も農業も大型化することで発展してきた。三陸でホタテを作っている漁師にとってそれは、外国産と同じ驚異なのだ。

でも、カキの漁師さんは、同級生であるホタテの漁師さんのことをこう言っていた。「あいつにもコダワリがあって、いろんなことを考えながらホタテやってるよ」。

船をおりて、漁港の番屋に寄らせてもらった。木造で、中にダルマストーブがあって、ばあさんがその上でカキを焼き、小さな魚を焼き、どんこ汁を作ってふるまってくれた。ばあさんはこの小屋で、息子(カキの漁師さん)が取って来るカキの殻むきを一日中やっているという。我々も殻むきを教えてもらった。かなりな力仕事だ。うまくできない。でもばあさんはニコニコしながら教えてくれた。こんな汚いところによく来てくれたねぇ、と何度も言っていた。

漁港を出て、近くにある「三陸とれたて市場」というところに行った。
市場といっても、そこに魚が並んでいるわけではない。インターネットで発注を受けて、漁師さんから直接仕入れた魚をそこから全国に発送しているのだ。やっているのは、静岡出身の若い3人の兄ちゃんたち。ひとりがこの三陸の海の素晴らしさに惚れこんで、ここに住みつき、ふたりを静岡から呼んで商売を始めたという。中のひとりがどうでしょうの大ファンで目を丸くしていた。「なっなんで!こんなところに藤村さんと嬉野さんが!」。

そのあと近くの山の上にある温泉に行った。そこに先ほどのホタテ漁師さんの三男坊がやってきた。19歳だというが風呂が好きでしょっちゅうここに来るらしい。明日は夜中の2時半に出漁だという。ほとんど寝る時間ないじゃんか!と思いながらも、湯船につかってずいぶんいろんな話をしていった。

19歳の三男坊にしても、その親である漁師さんたちにしても、そして醤油屋の専務も、とれたて市場を開いた兄ちゃんも、とにかく話を聞けば、いろんな話をしてくれた。つまり彼らには、それだけ話すことがあるということだ。普段は黙々と作業をしているけれども、それは相当、考えながらやっているということだ。考えながらやっているから、次々に話したいことが出てくる。そして話を聞くことで、我々もいろんなことを考える。

その日の夕食は大船渡で「イタリアン」だった。三陸まで来てイタリアン?と思うが、そこのシェフがおもしろいと。
店の名は「ポルコ・ロッソ」。地場の材料でうまいイタリアンを出す店だ。デザートに出たのが「醤油のアイス」。地場の牛乳に地場の有精卵のたまご、そして、陸前高田の八木澤商店の醤油、それだけで作る。それがバカうま。本当の醤油には数百の味の成分がある、と言っていたが、まさにそのとおり。「何味」というくくりができない奥行きのある味だ。

シェフは自分の故郷・大船渡に女性をエスコートできるようなしゃれた店を作りたかったという。動機が実に不純だ。しかし、動機は不純で結構。動機はどうあれ10年前、彼はこんな田舎に、しゃれたイタリア料理屋を作ることに着手したのだ。当然苦労は多い。でもそれは、「客が来る」「来ない」という市場原理的な問題だけだ。単純に「美味い料理を作る」というだけなら、ここには素晴らしい素材がある。実は料理屋にとって素晴らしい環境だったのだ。客を呼ぶには、他に負けない本当に美味いものを提供すればいい。今では東京からもお客さんが来るという。すごいじゃないか!
店が終わったあと、シェフとふたりで大船渡のバーに出かけ、2時まで飲んだ。

翌朝、再び漁港の番屋に寄って、朝メシをいただいた。焼き魚に味噌汁、そしてご飯と卵。八木澤商店の醤油をご飯に垂らし、とれたての有精卵を割り入れる。極上のたまごご飯に、何度も何度もうなずいてしまった。

まだちょっと続きがあるが、本日はここまで。

また明日!

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いわどうiwadou at 20:08│

2010年01月27日

1月27日(水)。藤村でございます。

嬉野先生と岩手に行ってまいりました。

日曜日の昼、盛岡で開かれたイベントで1時間ばかり話をし、その後、盛岡の街を案内してもらいました。案内人は盛岡の「文化地層研究会」の真山さん。「文化地層研究会」というカタイ名称から、地質学的な発掘かなんかやってる団体かと思われますが、まったく違います。文化は今そこに見えているものだけではなく、地層のように積み重なったものである、だから、それを掘り起こしていくことで、その街の本当の姿が見えてくる。たとえばある日。真山さんはいつものように犬の散歩をしておりました。ある学校の前で犬がウンチをしたので、「やれやれ」と腰をかがめると、ふと目の前に小さな記念碑があることに気付いた。見れば「ヘレンケラーお手植えの木」と書いてある。「なんでこんなとこでヘレンケラー?」と思って調べてみると、その昔、盛岡にヘレンケラーがやってきて、この学校に植樹をしたということがわかった。みんなに話しても誰も知らなかった。真山さんは、盛岡の小さな歴史文化をひとつ、発掘したわけだ。まぁ、そんな小さな盛岡文化の発掘現場を、ダジャレ好きの真山さんにおもしろおかしく案内され、最後は「オヤジいい加減にしろ!」と半ばあきれながらもたくさんの話を聞いた。
その夜は、盛岡の「鉈屋町」という地区の古い町屋に文化地層研究会の人たちが中心に集まって酒盛りをしてくれ、そのままその町屋に泊めさせてもらった。
鉈屋町は、盛岡の中でも城下町の風情が少なからず残っている稀少な地区で、キレイな水が湧く共同井戸なんかも残っている。でもそんな鉈屋町の古い町並をつぶして4車線の道路を作る計画が立ち上がったらしい。しかし、市民の反対運動に昨今の財政危機が重なって中止になったという。財政危機も悪くない。金がなければまともになる、ということだろう。
一方で、鉈屋町にある古い消防番屋を取り壊し、新たに建て直す計画が持ち上がったときの反対運動では、その消防番屋を昔から維持してきた人にこう言われたという。
「ここは消防の拠点だ。ここが古くて燃えやすい建物のままでいるわけにはいかない」。
消防番屋は再建されることになった。でも、新しい建物の上には、昔の番屋の雰囲気を残す鐘楼が作られることになった。
古いものを残したい、という一方で、古いままではどうしようもない、ということもある。

こんなふうに、いわゆる観光地を案内されるのではなく、いろんな目線で盛岡の街を案内されて、盛岡がとても魅力的な街に見えた。その夜は話が尽きることなく、岩手日報の若いやつらと岩手大学の学生と夜中3時まで飲んだ。

翌日は盛岡を離れ、海岸沿いの三陸方面に連れて行ってもらった。最初に訪れたのは、陸前高田にある八木澤商店という古い醤油屋だ。創業200年。
蔵を見せてもらった。
200年前の樽で、岩手産の大豆と小麦を使い、昔ながらの手間のかかる製法で醤油を作っている。
醤油ってのは本来、いろんな果物や花に含まれる数百の香りの成分があるのだという。そんなことまったく知らなかったし、そんなこと感じたこともなかった。そりゃそうだろう。普段使っている安売りの醤油にそんなチカラはない。
八木澤商店の「生揚げ醤油」は、作るのに丸2年かける。薄暗い蔵の中に昔から棲みついている菌が、じっくり時間をかけていろんな香りを作り上げていくんだろう。

八木澤商店の専務が話をしてくれた。安いというだけの理由で輸入に頼ってばかりの日本はやがて食料に困窮する。日本で食料を作り出している人を守らなければならない。だから、外国産ではなく地元の原材料を使うのだ。昨今聞きなれた「地産地消」という言葉の、本当の意味がそこにある。
さらに専務は言う。
醤油を搾り出す過程で小麦大豆のカスが出る。カスといったって、そこにも様々な菌類が含まれている。昔はそれを「金肥」といって肥料として売っていたそうだ。それを今はタダで農家に配り(ほとんどの工場では産業廃棄物として処理されているらしい)、その上、出来上がった米を普通よりも高く買い取っているという。そのぐらいやらないと今の農家はつぶれてしまうのだ。
さらに自分たちで田畑も作っている。金肥をあげた農家からもお礼として大量の野菜が届く。それらを従業員たちの「まかない飯」にあてる。
醤油屋が、ひとつの大きな食料自給のサイクルを作り出しているのだ。
すごいと思った。専務の語る言葉に何度もぐっときた。そんな専務はこの醤油屋の跡継ぎ、我々よりも全然年下の男である。

最後に八木澤商店の「まかない飯」を食わせてもらった。古い大きなテーブルを囲んで、おばちゃんが作るまかない飯。自分のところで作った米と漬物、シャケの切り身に八木澤商店の醤油をかけて食べる。すこぶるうまかった。

このあとも岩手三陸の旅は続きますが、今夜は「三陸のカキ」を食べるので今日はここまで!

また明日だ。


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いわどうiwadou at 20:47│