嬉野

2010年01月28日

10月16日、週があけまして月曜日。藤村でございます。
札幌は本日、秋の青空がすっきりと広がりまして、気持ちのよい1日でございました。
さて先々週になりますが、岩手で地上デジタル放送がスタートしまして、そのイベントにわたくし呼ばれました。
「岩手未来博」と題した、「岩手を見直そう」「岩手を積極的にアピールしよう」というようなイベントで、私は開口一番「岩手はアピールする必要なし!」「むしろ黙っててほしい」と言ってしまいました。
岩手。実は昔から、個人的に何度か旅をした思い出深い土地です。
遠野。カッパが棲むという小さな川にたたずんでみる。
南部曲家で、ひんやりとした土間の感触を確かめる。
小さな県道の橋の上から川をのぞきこむと、イワナがゆっくりと体をくねらせている。
岩手は北海道に次ぐ日本第2位の広さを持つ。そのくせ盛岡以外にたいして大きな街がない。だから、これといって思い浮かぶものがない。だから、「行こう!」という強い動機が生まれない。岩手は、観光するのにつかみどころがない県だ。
でも、三陸海岸に出れば魚が美味い。山の幸も豊富。なにより餅文化が浸透して私好み。
こんな土地、人には教えたくない。「岩手ってなんにもない」。そう思わせておけばいい。旅の一番の楽しみは、人に知られていない、自分だけの「心地の良い場所」を見つけることだ。だだっ広くて、なんにもない岩手は、だから旅をするのに最も心くすぐられる土地なのだ。
岩手はこのままであってほしい。「岩手をアピールしないでほしい」。黙ってても、いや、黙ってるからこそ人を惹きつける、岩手はそういう場所なのだ。
ま、そういう意味のことを申し上げたわけです。
盛岡に住む若者と対談のようなこともしました。
帽子屋の男、藍染をやっている男、ほとんどプータローでDJやってる男、ライブハウスを開いた男、そしてカフェをやってる女性。
何人かは東京へ出て、盛岡に戻って来たそうだ。
「今、東京から逃げてきたって言ったけど、本当にそう思ってる?」
「うーん、どうだろ」
「東京じゃなくて、盛岡の方が好きだから戻って来ただけなんだろ?」
「本当は、そうですね」
「『逃げてきた』っていうのは、世間的にそういう言い方が一般的だから、自分もつい言っちゃったんじゃないの?」
「まぁ、確かに」
なぜか今でも東京から戻ってくると、何かに負けたような印象を持たれる。でも、例えば「盛岡で初めてライブハウスを開いた男」の話。オープン当時、人前で演奏できるバンドは、盛岡に9組しかいなかったそうだ。それが今、50組になった。彼がやったことは、東京でライブハウスをやるより、もしかしたら難しいことだったかもしれない。
「これから盛岡のために、みんなはどんなことをやっていけばいいと思う?」
司会の女性が聞いた。
「うーん・・・」
みんな口ごもった。彼らの気持ちを代弁した。
「おまえらはさぁ、何かのためにやってるとは思ってないもんね?だから答えられない」
答えたところで、多分「盛岡を少しでも元気にする」とか、そんな通り一遍の言葉しか出てこないだろう。どっかで聞いたフレーズを口にするだけだ。
でも、具体的に「盛岡で彼らがやるべきこと」はちゃんとある。
盛岡という田舎町で、彼らは何をすればいいのか?
「例えば、カフェと雑貨屋をやってる彼女。カフェや雑貨屋なんて、多分、ほとんどの女の子がやりたい仕事でしょ。誰でも一度はやってみたいと思ってる。それをあなたは、今やっているわけだ。だったら、あなたが盛岡ですべきことは、カフェをやりながら幸せに暮らすことでしょ。盛岡で雑貨屋とカフェをやりながら幸せに暮らす。それさえすればいい。東京の人は、そんなことされたら絶対にかなわない」
「なるほど・・・わかりやすい」
「あんたのお店、儲かってる?」
「ぜんぜん」
「でもいいじゃない。暮らしていければ」
別にカフェをやってない奥さん方だって同じ。盛岡で、岩手で、自然にあふれた環境の良い街で、幸せに暮らす。それさえできれば、誰もあなたたちにかなわない。そんなあなたに余裕があったら、チェーン店のファミレスではなく、盛岡でカフェをやってる彼女の店でお茶を飲む。メジャーのCDを買うのを1回やめて、盛岡のバンドのインディーズを一枚買ってみる。盛岡の若者が手を真っ青にして作ってる藍染のTシャツを1枚買ってみる。たったそれだけで、彼ら、彼女は幸せに暮らし、外にアピールしなくても、いつのまにか盛岡の文化が育っていく。

夜、盛岡の街へ出ました。
繁華街は思いのほかコンパクトで、きれいに整っていた。街には2本の川が流れている。サケが上ってくるそうだ。
「県庁所在地でサケが上ってくるのは、札幌と盛岡だけ」
なんともいい街だ。
駅の近くのホテルまで岩手朝日の人たちが一緒に歩いて送ってくれた。ホロ酔い気分で駅を見て、はじめて気がついた。
「あ、見覚えがある!オレ、ここ来た!」
サイコロ3の最後が、盛岡駅だった。
「あー、ちょっと懐かしい」
でも、あの時に見た盛岡駅と、今見ている盛岡駅では、ずいぶんと印象が違った。そこに住んでいる人たちの顔を見られたことで、「盛岡」という街がずいぶん身近に感じられた。
どうでしょうの旅も思い出深いが、3人と離れたこういう旅も、思い出深い。
岩手の皆様、そういうことで、「もの言わぬのが美徳」、その県民性を思う存分発揮して、くれぐれも「岩手はいいとこ!」などと慣れない宣伝はしないように。そして、幸せに暮らして下さい。
今月末、また岩手におじゃまします。仕事が終わったら、少しだけ旅してまいります。
いいとこがあるらしいので。


夜分恐れ入ります。11月20日月曜日、藤村でございます。
今年の水曜どうでしょう最新作の作業を始めておりまして、久々に編集室引きこもり生活に入っております。
さきほど冒頭の企画発表部分をつなぎ終わり、「今日のところはこのへんで…」と、パソコンのあるデスクに戻ってまいりました。
この時間になると制作部のあるフロアにも人は少なくなり、静かになってまいります。静けさ、というのは1日の終わりに落ち着きを取り戻してくれますな。静けさと、あと暗さですな。
先月の末に、また岩手に出張してきました。その際に、系列の岩手朝日の人間と地元代理店の方などと連れ立って、あるお宿に行ってきました。
岩手県北部にあるそのお宿は、茅葺屋根に囲炉裏のある、高級宿なんかではございませんが、古い民家をそのまま利用した趣のあるお宿でございます。
日が暮れるかどうかという時間から、黒い板の間に座り、囲炉裏を囲んで酒を飲み始めます。メシを食い、風呂に入り、やがて宿のご主人と奥様も交えて、さらに酒を酌み交わします。テレビはありません。明かりもほとんどありません。静けさと暗さが包み込む中、ただ囲炉裏の火を見ながら、ただゆっくりと話をします。
時計を見てもまだ夜の9時。おだやかな気分で、さらに飲みながら話をします。
夜11時を過ぎたころ、宿の奥さんにうながされて外に出ました。
「おぉーっ!すげぇ!」
空には物凄い数の星がありました。驚きました。驚きすぎて、わたくし放屁いたしました。
「おぉーっ!すげぇ!(バッ!)」
最後の「すげぇ!」とおならはほぼ同時に出ました。それも(ぶっ!)ではなく、もっと豪放な、弾けるような(バッ!)という音色。わたくし、肛門が破裂したかと思いました。肛門が割れるほど、頭上に振りそそぐ星空に驚いたのであります。
寒い寒いと身を固くしながら囲炉裏の部屋に戻り、また酒を飲みます。
「この家には、座敷わらしが住んでるんですよ」
奥さんが話し始めました。
その座敷わらしの名前は、ハルちゃんというらしく、ハルちゃんは、子供が泊まりに来るとうれしそうに出てきて、一緒に遊ぶそうです。事実、小さな子供が暗い部屋に向かって指を差したり、話をしたりすることがよくあると。
「奥さんは、見たことあるんですか?」
「一回だけ」
それは、ある夏の日のことでした。
その日も囲炉裏を囲んで宿泊客と夜更けまで酒を酌み交わしておりました。中に、そういうのが見える方がいらっしゃいまして、「あら、今日は上でハルちゃんがずいぶん騒いでるわね」と言ったそうです。
やがて酒宴もお開きとなり、奥さんは座布団を囲炉裏のそばに積み重ねて片付けました。その夜は蒸し暑かったので、窓を全部開け放して、そのまま寝たそうです。
翌朝早く、奥さんは部屋に煙が充満しているのに気づいて飛び起きました。
「火事だ!と思って、あわてて囲炉裏の部屋に行ったら、座布団が焦げて全部灰になってた」そうであります。たぶん囲炉裏の火が飛んだのでありましょう。座布団は灰になっておりました。
「でも、燃えたのは座布団だけ。もしも風が強かったら、たぶん本当に火事になってた。だから・・・」
だからあの夜、ハルちゃんは騒いでた。そしてきっとハルちゃんがあの夜、この家を守ってくれた。
奥さんはその日、座布団だけが燃えて、四角い焦げあとが付いた床に、お菓子をお供えしたしたそうです。
「ハルちゃん、ありがとう」
お礼をし、部屋を出て、しばらくして振り返ると、その場所にハルちゃんが立っていたそうです。
ハルちゃんの横には、犬がいました。もう死んでしまった、奥さんがかわいがっていた犬のジョイ。
ハルちゃんは、ジョイを連れて、にこにこしながら、その場所に立っていたそうです。
「それ以来、もうなにがあってもハルちゃんがいるからこの家は大丈夫って、思うようになった」
奥さんは、天井を見上げてそう言いました。
「ココに・・・いるんだね?じゃぁ、ハルちゃんが・・・」
「いますね」
「ふーん・・・」
根っからのビビリ屋のわたくしは、(今、ハルちゃんが出てきたら、間違いなくおれの肛門は破裂するな)、そう思いながら、放屁を必死で我慢しておりました。
座敷わらしがいて、家を守ってくれる。だから、大丈夫。そう思って日々生活できる。それは、なんと豊かな暮らしであろうと、思いました。
家を包み込む静けさと、暗さ。物の豊かさはないけれど、心の豊かさはいっぱいある。
岩手で、また良いものに出会いました。
さ、11時になってしまいました。早く帰ります。また明日。

2006年1月6日金曜日。
嬉野です。
なんですか、もう金曜日なんですねぇ。
そしてその後は月曜日までお休みなんですねぇ。
お休み、多くなりましたねぇ。日本も。
でもね、まだまだ欲しいですよね。
とくに長期間の休暇がね。
さて話はガラリと変わって、今朝方のことですが。
朝ご飯を食べた後にですねぇ、うちの奥さんが、
「昨日、なんか面白かったから最後の方だけ録画しておいたの」
と、申しまして朝から某局の県民性をテーマにしたバラエティー番組を見せられたのですが、すごいですねぇ岩手県というところは。
「日本一お人よしな県」はどこかということでアンケート調査しました結果、見事第一位に輝いたのが岩手県だったということで、
その裏づけを取るために、さっそく盛岡の街中で隠し撮りの実験がなされたわけですね。
まず盛岡の寒空の下、旅行者風に仕立て上げましたお年寄りの御婦人を一人、街中に心細げに立たせる。
その前を通り過ぎようとする岩手県民に「あのぉ、盛岡駅は、どう行けば良いのでしょうか」と聞かせるわけですが、実にこの時の岩手県民の皆さんの反応が天晴れとしか言いようが無い。
自転車を押しながら通りがかった高校生らしき女の子は、「時間があるから私が案内しましょう」と困っているお年寄りに付き合ってなんと自ら駅まで案内しようとする。
茶髪のあんちゃんの二人連れは、丁寧に道順を教えた挙句、「寒くない?」と言って、自分が使ってた使い捨てカイロをあげてしまう。
中には、話しかけられてもいないうちから、御婦人の挙動に気づき「おばぁちゃん、どうしたの?困ってることあるの?」と話しかける若者まで出る始末。
そのあと、やらせで、通りで若者を転ばせて、一抱えもあるりんごの包からいっぱいのりんごが転がりだせば、居合わせた多数の通行人が殆ど同時に全員参加して拾ってくれる。
そういう光景を見るということは実に気持ちが良いもので、「岩手県民は偉いものだ」と感心することしきりでございました。
ございましたが、その時ですねぇ、わたくしふと思ったのですね。
私だって、どちらかと言うなら、いやいや、どちらかと言わずとも「善人」なわけですから、そのような場に遭遇しましたら、そのような善なる行動を取るについては本来やぶさかではないわけですが(なになに?表現は手短に?なるほど!)、どうもですねぇ「嬉野さんは良い人」と言われても軽くあしらわれているようで大して嬉しくないわけですね。
どうしてだろう?と思ったわけです。
だって、今、目の前でね、岩手県民全員がここまで善人なのか!と驚き感動したわけですからね、自分も生まれ故郷は違っても、行いではこの中の一員かと思えば、晴れがましくもあり、また誇らしいわけですが、どうも単体で「いい人よね」と評価されるとなんとなーく心細い。
なんでだろうと思ったわけです。
思うにこれは若かりし頃の後遺症なんでしょうね。
「嬉野君っていい人よね」
「そうそう」
「でも私の好きなのはB君」
「あら私はC君!」
「そう言えばC君もかっこいいのよね」
「そうでしょう!あんたは?」
「私?わたしはDくーん!」
みたいなね。
「いい人は?」
「嬉野君!」
「好きな人は?」
「A!B!C!D!」
みたいなね。
そばで聞いててもオレの名前はいっこうに上がらねぇなぁ、みたいなね。
なんだよ、むしろ善人よりは不良っぽいやつの方が女にモテルじゃねぇかよ。みたいなね。
そういうですねぇ、若かりし頃の貧しいデータが刷り込まれて、未だに尾を引いておるのでしょうねぇ。
げに煩悩というモノは恐ろしいものでございます。
いやぁでも感動したなぁ、岩手の人たちには。
朝から良いものを見たなと、心豊かになりました嬉野でございました。みなさんも今日から善人になるように。
それでは、また明日お会いしましょう!
あ!違った!
明日は休みだった。
また来週ー。だった。

2007年8月7日火曜日。藤村でございます。
もう3ヶ月前になりますか、5月のはじめに嬉野先生とふたりで岩手におじゃまいたしました。
私はこれでもう3回目。地元岩手・盛岡を愛してやまない人々が、今回も各所を案内してくれました。嬉野先生は初めての参加であります。
まずは盛岡の街を歩きます。
街には2本の川が流れております。そこには鮭が登り、鮎が躍る。
街からは遠く岩手山が見えます。
街の中心はこんもりと木が生い茂る岩手公園。盛岡城の跡地であります。
来ず方のぉーお城の草に寝転びてぇー空に吸われし十五の心
盛岡一高の生徒であった啄木が授業をサボって詠んだ歌でありますな。昔は風流な不良がいたもんです。
盛岡は、このお城を中心とした城下町であります。
近代的で思いのほか巨大な盛岡駅は、街の中心ではなく、街の端っこにある。
ここに鉄道が出来た当時は、真っ黒な煙を出す蒸気機関車なんてものを街の真ん中に入れるわけにはいかない、よそから来た正体不明な人々を街の真ん中に入れるわけにはいかない、だから駅は街の端っこだ、そんな理由があったそうであります。
今とはまったく違う考え方でありますな。
駅とは反対側の街の端っこには、バスセンターがあります。今となっては懐かしい、昭和の匂いが漂う古い建物。乗り場には売店が何件かありまして、まんじゅう屋もある。
素朴な味わいの餅をいくつか買いましたら、実に丁寧に包んでくれた。
盛岡からバスに乗って田舎に帰る。旅をする。昔から旅のお供として、里帰りのお土産として、みなさんこのまんじゅうを買っていたのでしょう。バスに乗る。それがとても晴れがましいことであった時代の名残が、この古い建物には残っておりました。
私の大好きな福田パンにも行きました。
あんこ、クリーム、ジャム、野菜、カツ・・・数多くの具の種類が壁に貼られておりまして、それをコッペパンにはさんで出してくれる。あんとバターとか、クリームといちごジャムとか、2種類組み合わせて頼むこともできる。盛岡に昔からあるオーダーメイドのパン屋さんですな。
コッペパンというと、どうしても給食の時に出てきたパサパサの乾いたやつを思い浮かべますが、ここのパンはしっとりやわらかい。
「うーむ!きなこクリームってなんだ?これとブルーベリージャムを組み合わせたらどんなパンになるんだ!」
20種類はあろうかという豊富な具のラインナップに興奮を隠し切れないのであります。
質素な店内で、おばちゃんが手際よく客の注文通りに具をはさんでいく。昔ながらの光景が実に心地良いのであります。
盛岡を離れ、岩手県南部にある料理屋に行きました。森の中にあるそのお店は、一日一組限定。といっても高級料亭なんかじゃありません。山菜しか出ない。おばさんが山で取ってきて、時間をかけて下ごしらえをする。えらく手間がかかる。だからたくさん出せない。だから一日一組にしか出せない。
囲炉裏端に、何種類もの山菜が、ひとつずつ皿に盛られて出てきます。うまい。どれも、うまい。うなるほどうまい。山菜だけで満足し、腹がいっぱいになる。こんな経験は初めて。
「幸せですなぁ・・・」
「まったく・・・」
ホロ酔いの嬉野先生もご満悦であります。
しかしおばさんにしてみれば、小さい頃からこうやって食べてきた。ただ単に、昔のまま、今もそうしてるだけ。
昔のまま。
昔のままに出会うと、なぜこうも「良いなぁ」と感じてしまうんでしょうか。
それはすなわち今の時代に、どこか違和感を感じているからでしょうか・・・。

さて明日からお休みと出張がありまして、こちらをまた留守にいたします。
来週また、お会いいたしましょう。



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いわどうiwadou at 20:34│